お知らせ:設備改修・点検のため休館 2025年1月14日(火)▶2月28日(金)
黒の表現へ
1974年3月8日に画家・香月泰男が急逝して50年が経過しました。1974年3月8日に画家・香月泰男が急逝して50年が経過しました。
それから19年後の1993年に開館した香月泰男美術館は、テーマ展を通して香月泰男の顕彰を行ってきました。
没後50年となる2024年は、3月8日より約1年を三期に分け、当館所蔵作品と資料で香月の画業を紹介します。
今秋、香月泰男美術館は開館30周年を迎えます。
これを記念し、「画家からの贈り物Ⅲ 新収蔵品展」を開催する運びとなりました。
当展覧会は、香月泰男夫人であり当館初代名誉館長の故・香月婦美子氏(2021年没)の遺贈作品展です。
画家が生前発表したのち、長らく公開されていなかった作品など、初期から晩年までの油彩画約50点を中心に紹介します。
本展では香月泰男(1911-1974)の描いた魚と海を中心とした油彩やデッサンを紹介します。
香月は1950年代”厨房の画家”と呼ばれるほど、食材を数多く描きました。とりわけ魚は種類も豊富で、近隣の漁場の豊かさが感じられます。魚は香月にとって”私の味覚神経をそだててくれた”と記すほど身近な食材でした。
海はどうでしょうか。香月の故郷、現在の長門市三隅は日本海に面していますが、積極的に選んだモチーフではなかったようです。一方、旅先では、海辺や海岸、船上から見た海を描いています。
香月の描いた魚や海からは、ユーモラスさ、命への慈しみ、自然の織り成す美しさの表現を感じていただけることでしょう。
会場には香月が好んで食した魚や、美しいと感じた海が並びます。どうぞお楽しみください。
香月泰男の代表作”シベリヤ・シリーズ”が完成するまでの過程を検証する本企画の第二回目は、《運ぶ人》を紹介します。
―展示作品― 《運ぶ人》 1960年 油彩・カンヴァス 山口県立美術館 蔵
香月泰男(1911-1974)は生涯に150点を超える版画作品を残しました。
本展ではすべての版画作品を関連作品や資料とともに、その全容を紹介します。
版画には香月が〈私の地球〉として愛したふるさと三隅の草花やいきもの、動物園の動物たち、海外旅行先の風景などが描かれています。
これらは1969年から1974年に集中して制作されました。香月が油彩やスケッチなどで描いたモチーフが版画に転用されているものもあり、
画家の表現のひろがりをあらためて感じる作品群です。
リトグラフ、エッチング、木版、それぞれの持ち味を活かして描かれた版画作品をお愉しみください。
2020年1月19日、近年修復を行った当館所蔵油彩画を紹介する「蘇 ― 香月泰男作品修復の足跡」展を開幕しました。
しかし、コロナウイルス感染症拡大のため会期の半分にも満たずに閉幕することになり、幻の企画となった展覧会を再現します。
今回紹介する油彩画は1935年から1960年代中頃までに描かれた、香月独自の画風と言われる“シベリヤ様式”が生まれるまでの作品が大半を占めます。
制作年を追って通覧すると、画風の変遷はもとより、画家の興味の対象、筆致、色使いに時代ごとの特徴が見えてきます。
絵画は経年に加え、光、温度、湿度や保存環境など、さまざまな条件が影響し劣化が進みます。一見すると無傷に見える作品も、
早急に修復措置を必要とすることもあり、小さな変化は見逃せません。
美術館は作品を“展示する”ことと“護り・伝える”使命を担っています。今回の展覧会はその両方を知っていただく機会ではないでしょうか。
作品に添えた修復レポートとあわせて、絵画が蘇った過程をご覧ください。
香月泰男は先の大戦で従軍・抑留を体験しその記憶を描いた作品は代表作"シベリヤ・シリーズ"として広く知られるようになりました。
一方で、香月は復員後の生涯を故郷三隅で過ごし、日常の何気ない情景を数多く描いています。”私の思考は、いつも結局はシベリヤになってしまう。
” と述べているように、香月の目に映る情景の先にはシベリヤの記憶と、過酷な時期を支えた絵かきとしての目、故郷・家族への想いがありました。
本展では初期から晩年までの作品の中から、香月が穏やかな時の中で描いたモチーフを画家のことばを織り交ぜながら紹介します。
香月泰男の代表作”シベリヤ・シリーズ” が完成するまでの過程を検証する本企画の第一回目は、香月が復員した1947年に描いた《雨〈牛〉》を紹介します。
本作は、香月の従軍・抑留体験の記憶を描いた最初の作品でありながら、後に同シリーズに加えられました。
展示では本作、習作のほか、香月が大陸で着想を得たモチーフを漢字で書き記し持ち帰った「絵具箱」を展示し、シベリヤ・シリーズ第一作が描かれた過程を探ります。
―展示作品―
《雨〈牛〉》1947年 油彩・カンヴァス 山口県立美術館 蔵
香月泰男(1911-1974)が”ここが<私の>地球”として、生涯を過ごしたふるさと三隅。
自然豊かな、この地に根付いた木々や花々をモチーフに、香月はデッサンや油彩を数多く描きました。
本展はこれらを3つのテーマで紹介します。
1つ目のテーマ”風景の中の植物”が風景画に描かれた植物表現に焦点を当てます。次の”画題に見る花”では、仮に画題がなかったら果たして
主題は何だろう、と考えてしまうような作品を選びました。そして3つ目のテーマは、香月が愛したふるさと三隅に咲く花々を紹介する
”モチーフ天国に咲く花”です。色とりどりの花々から季節を感じるとともに、時代ごとに特徴のある植物の描き方にも注目してご覧ください。
本展では香月が装画・挿絵・カットとして描いた原画や資料と、著者や編集者が装画として選んだ香月作品を紹介します。
手がけた仕事の中には同時期に描いた作品を想起させるものから、一見すると香月と分からない画風も含まれており、
画家の表現の多様性を感じていただけることでしょう。
―あの本、あの雑誌の表紙はこの画だったのか、と発見があるかもしれません。
※予定の2022年2月13日までの会期を2月20日(日)まで延長いたします。
1956年10月、香月は初めてヨーロッパを訪れ、パリを拠点にカンヌやニースなどを巡りました。そして晩年の1973年、最後の訪問先となった外国もフランスでした。
本展では1956年の色彩あふれるスケッチを中心に、香月の観たフランスをお楽しみください。
戦後日本洋画界を代表する画家、香月泰男は自身の抑留体験を描いた”シベリヤ・シリーズ”で広く知られています。
一方で香月は家族を中心に人物も描きました。その表現は画風の変遷とともに観たままを描くことから、形の様式化、色の単色化と変化していきます。
本展では”肖像”、”かたち”、”動き”をキーワードに、表現の変化と色が与える印象について観てみましょう。
本展では”石”と”水”をテーマに、絵画やオブジェなど香月の表現の多様性に迫ります。30歳当時の香月は、石を花よりも身近なものに感じていました。
描かれた石は、その形に共通性があります。実はこのフォルムを完成させるために画稿を繰り返し描いており、本展ではこれらと共にご覧いただきます。
香月の作品には水もたびたび登場します。アトリエでの創作活動の合間に、疲れを癒すために眺めていた自宅前を流れる川は良き題材となったようです。
時に主題、時に脇役となる水の面、波、しぶき、流れといった表現に注目してみましょう。
-石と水- 丸みや凹凸の形状や色といった視覚的なものから、音、動きなど想像を働かせてお愉しみください。
本展は当館所蔵の油彩画より、近年修復を行い蘇った作品を紹介する展覧会です。
作品は経年に加え、光、温度、湿度や保存環境など、さまざまな条件が影響し劣化が進みます。一見すると無傷に見える作品も、
早急に修復措置を必要とすることもあるのです。美術館は作品を“展示する”ことと“護り・伝える”使命を担っています。
今回の展覧会はその両方を知っていただく機会ではないでしょうか。
絵画の修復過程とあわせて、蘇った作品たちをご覧ください。
ニューヨークとギリシャ、2つの土地で描かれた作品を紹介します。
1966年、香月はニューヨーク・ジャパン・ソサエティの招待を受け、アメリカへ渡りました。
美術館、博物館、動物園、セントラルパークといった観光地、太陽の移ろいとともに変わりゆく空と摩天楼の街並み。香月は都会の喧騒の中にある日常を描いています。
ギリシャは香月にとってあこがれの地でした。1972年に念願のアテネに降り立った香月は、およそ1か月の滞在中に随所を巡り、景色、文化、食などを独自の感性で吸収しました。
「美しい海であった。エーゲの海は―。」と述懐した香月が書いたギリシャは爽やかさと長閑さが現れているようです。会場では雑誌等に寄稿された香月のことばも紹介します。
約50年前のニューヨークとギリシャをしばしお愉しみください。
故郷三隅を「ここが〈私の〉地球」そして「モチーフ天国」と称した香月泰男は、家族、食材、動植物を多く描きました。本展は香月の描いた生き物に着目した展覧会です。 モチーフは自宅で飼っていた鳩や犬をはじめ、牛、山羊、羊、かたつむり、てんとう虫など多岐にわたります。 描き方や絵具の選択は画家の表現の一つです。香月の場合、油彩の表現は初期の明るい色彩から、晩年には黄土色と黒の色使いに変化します。同じ対象を描いても油彩と素描では印象が異なります。 これらは当たり前のことかもしれませんが、画家がなぜその方法を選択したかを考えると、何を表現したかったのかが見えてくることでしょう。香月のやさしいまなざしで描かれた生き物たちをご覧ください。
「ここが〈私の〉地球」と呼んだ故郷三隅は、香月にとってモチーフ天国でもありました。
自宅前の三隅川にかかる橋の上から空や山、流れゆく川面を眺め、家族とともに過ごす日常の中で見て感じたものを生涯描き続ける。それは画家にとって幸せな日々だったことが作品から伝わってきます。
2018年10月25日に開館25周年を迎えた当館では、これまでの企画展告知ポスターを飾った作品の中から、来館者による人気投票を半年間実施しました。
本展では、人気の高かった作品を中心に、香月が「眺められるしあわせのしるしとして」描いた、身の周りの風景や動植物などの作品を紹介します。
画家が感じた”しあわせ”にしばし思いを馳せてご覧ください。
1956年10月、香月は初めてヨーロッパを訪れます。約半年間の遊学では、フランスを拠点にスペイン、ポルトガル、イタリア、スイスを巡り、
油彩とともに400点を超える着彩スケッチを残しました。また、晩年の1972年に もスペイン、モロッコを旅しています。
今年は日本とスペインの外交関係樹立150周年です。香月が訪れたのはそれから88年後のことです。その時の風景はどのようなものだったのでしょうか。
香月の足跡をたどりながら、しばし旅の気分をお愉しみください。
画家・香月泰男の従軍・シベリヤ抑留体験から生まれた作品と、平和祈念展示資料館(東京)所蔵の抑留に関する資料を交差させることで、シベリヤ抑留について立体的に捉える試みです。
先の大戦が終戦した1945年8月を境に、約57万5千人の日本人がシベリヤに抑留されました。
その1人だった香月の生涯のライフワークともなった「シベリヤ・シリーズ」は1956年から本格的に始動していますが、平行して身の周りのものや家族などを描き、常に「シベリヤ」と「日常」が交差していました。
記憶をたどり、自身の収容先や体験について絵や手記を残した抑留経験者もいます。彼らも香月同様、日常生活の中で抑留を反芻しました。抑留経験者は、常に二つの時間が流れていたのかもしれません。
展覧会は4章で構成されています。各章では香月の作品やゆかりの品と、時代背景を知る資料や抑留経験者の持ち帰った品が並びます。
香月はシベリアのことを「シベリヤ」と呼びました。香月の「シベリヤ」と抑留経験者の「シベリア」。それぞれの異なる体験を持つ抑留について、考えてみましょう。
香月が日本国内の旅先で描いた風景画を中心に未公開のスケッチブックをあわせて紹介します。
「ここが<私の>地球」と三隅での日常をこよなく愛した香月がとらえた北海道、山陰、九州などの景色をご覧ください。
食材を描いた作品を数多く残した香月は、一時期“厨房の画家” の異名をとりました。本展では、1950年代以降に描かれた食材を中心に紹介します。
食材のある風景や、魚、肉、野菜、果物といった食材そのものの絵からは、香月家の台所事情が垣間見えるようです。
一方で「主人が青いトマトが描きたいといえば植えました」という婦人の言葉からは、自らの意思で描きたい対象を選んでいたことが伺えます。
食材を描き続けた時期は、シベリヤ抑留から復員した後の1950年代に集中しています。これは、抑留時に餓えをしのぐため、
野草などを探して食べる「生きるための食」の経験の発露とも考えられるでしょう。香月の描いた食材たちをご堪能ください。
香月泰男は1943(昭和18)年4月に召集され、満洲(現 中国東北部)のハイラル市に配属されました。終戦後はソ連軍によりシベリヤに抑留され、
帰国できたのは1947(昭和22)年のことです。 この戦争、シベリヤ抑留の記憶を描いた「シベリヤ・シリーズ」※は、香月の代表作であり、平和への祈りが込められています。
本展では「シベリヤ・シリーズ」とともに、ハイラルから家族へ宛てた「ハイラル通信」、戦後、故郷で過ごした平和な日常を描いた作品を紹介します。
香月泰男の生涯に多大な影響を及ぼした戦争。その中で画家がどのように生きたかを探るとともに、香月の平和への思いに触れてみましょう。
※香月はシベリアを「シベリヤ」と呼んでいました。
当館では香月のことばを使い「シベリヤ」としています。
香月泰男は1911(明治44)年、現在の山口県長門市三隅に生まれた画家です。32歳で応召、旧満州で終戦を迎えましたが、終戦後はソ連軍によりシベリヤに2年間ほど抑留され、帰国できたのは1947(昭和22)年のことでした。
帰国後の香月は、故郷である三隅の地を拠点に創作活動を続けました。そのため、彼が描いた作品の中には、故郷に息づく 植物や虫が多く登場します。また、香月は晩年には頻繁に海外を訪れ、旅先で見つけた風景や植物を多く描きました。
本展では、香月が故郷や旅先で見つけた“季節を彩る花々”をご紹介します。身近で、素朴な花々の姿は、見る人に温かな 感動を与えてくれることでしょう。
香月は画家として絵を描く一方で、「おもちゃ」と呼ばれる廃材を利用したオブジェ制作、萩焼への絵付け、書籍の挿絵など幅広い創作活動を行い、膨大な量の作品を残しています。そして作品だけでなく、彼のことばについても実は多く残されているのです。
それは、戦争・シベリヤ抑留の記憶を描いた、彼の代表作でもある「シベリヤ・シリーズ」に付された自筆解説文や、雑誌、新聞に掲載されたコラム等です。 それらのことばからは、香月の体験、その時々の心情が伺えます。
本展では、それらの香月が残したことばの中から、 作品制作当時の心境や香月の人間性が伺えるものを作品と一緒にご紹介し、彼の生き様へ迫っていきます。香月泰男の新しい一面が見えてくることでしょう。
香月の死後40年以上の間大切に保管されていた絵画作品のうち、初期から晩年までの油彩画や日常を描いたスケッチ、海外の風景を描いた作品、香月が収集したルオーなどの海外作家の作品、香月の制作に関わる資料などを幅広くご紹介します。
どの作品も当館で初めて展示されるものです。新しい香月泰男の世界をお愉しみください。
香月泰男は1911(明治44)年、現在の山口県長門市三隅に生まれた画家です。
32歳のとき戦争に召集され、旧満州ハイラルで終戦を迎えました。終戦後はソ連軍によりシベリヤに抑留されたため、帰国できたのは終戦の2年後でした。
帰国後は故郷である三隅の地で創作活動を続け、1974(昭和49)年3月に62年の生涯を終えました。
香月の作品は、彼の死後も遺族により大切に保管されていました。香月泰男美術館は、それらの作品のうち約450点の寄贈を受けて1993(平成5)年に開館しました。
そして、2015年 2月12日には、遺族より新たに300点を超える油彩画、2,000点を超える素描画や資料類が寄贈されました。
本展では、香月家に40年以上の間大切に保管されていた絵画作品のうち、
当館で初めて展示される作品のほか、香月の制作に関わる資料、香月が収集したピカソなどの海外作家の作品をご紹介します。
新しい香月泰男の世界をお愉しみください。
香月家の台所には香月が描いた壁画が残されています。1958年に自宅を改築した際、モルタルで塗られた壁を気にいらなかった香月は、自ら絵筆を執りました。
3年ほどで、壁は花や昆虫、魚、外国の珍しい風景などで埋め尽くされました。
香月泰男夫人、婦美子氏によると「植物や魚介類の図鑑のつもりと、やがて生まれる孫たちを喜ばせたい」という思いから描かれたのだということです。
この展覧会では、台所壁画に何が描かれているのかを探り、同じ題材を取りあげた作品をご紹介しています。
香月と彼の大切な家族が憩う空間を彩った「花といきもの」たちをお愉しみください。
没後50年香月泰男 関連情報
開催中の展覧会
没後50年香月泰男 第三期 1966→1974
会期:2024年10月11日(金)
▶2025年1月13日(月・祝)
黒の表現に色彩が戻り始める1966年から晩年までの香月作品を紹介します。